開創由来
大同2年(807)、唐〈今の中国〉での留学を終えられた弘法大師 空海上人が、瀬戸内海を上られる途中、周防大島のこの入江にて向かいに沈む紅き日輪にみ仏をご感得。船の帆柱に不動明王を急ぎ刻まれ、仏国土を仰ぐ西向く寺として開創されました。
空海上人の無事帰国の喜び感謝と真言密教の東漸の誓いは形となり、幾度となく波を切り海難をお救い下さった不動明王が造像され、人生の荒波、難を断ち切る秘法の護摩を修して開眼。爾来1200年を経てその法灯は今に続いています。
本山は、京都の仁和寺。真言宗の御室派の寺院です。
日見大仏尊が来迎
平安時代の末期、藤原政権時代。巨大な木造の阿弥陀如来尊像が迎えられました。島では【日見の大仏さま】と親しまれ、祈り救われ、守り護られ、時空を超えたその美しき尊容は、奇跡の仏像として伝わり、静かに鎮座なされています。
明治3年(1870)に同地区の牛頭山 長楽寺と合併して寺名が西長寺となりました。
周防大島八十八カ所霊場
西長寺が中心となり、明治22年(1889)周防大島に八十八カ所霊場が開創されました。その根本霊場でもあります。西長寺の【大巡拝(おおまわり)】をはじめ、巡礼姿のお遍路さん、お大師講や縁日のお接待などは各お札所に現在も引き継がれ、周防大島の季節の風物詩となっています。
→巡礼遍路についてマンダラの世界
西長寺は穏やかで温暖な瀬戸内の島の寺。陽光は燦燦と輝き、その光は美しく海に照り映えます。日輪の温かさ<胎蔵法>と、明るさ<金剛界>に包まれましょう。安らぎと心豊かな世界がマンダラです。
現在、西長寺は諸堂や境内の修復を終え、日見大仏さまのご開帳。また現代アートと共に、数多のみ仏さまが集まり、歓喜して遊び遊ばれるマンダラ霊場が顕現致しました。仏縁ありがたき皆々様の来山ご参拝をお待ち致しております。 合掌。